塩原化石教育プロジェクト

塩原木の葉石とは

塩原木の葉石とは、栃木県那須塩原市にある「木の葉化石園」から産する保存良好な化石を含む岩石のこと。
この場所は明治時代から知られており、化石の保存の良さからも世界的な化石産地と言える。
この化石原石を「木の葉化石園」では、教育利用に限り特別に販売している。
この化石原石を教室に持ち込み、室内で化石採集を経験できることになる。
この化石層は地下約140mまでも続いており、掘り尽くす心配はまずないとのこと。
化石採集のできる場所がどんどん減らされている現在、この化石原石は貴重な教材である。

1 研究史

スウェーデンの地質学者であるアルフレッド・ガブリエル・ナトホルスト(Alfred Gabriel Nathorst)は明治21年(1888)に塩原からの植物化石15種類を報告した。
ナトホルストは,その時代を鮮新世後期であると述べた。その後,金原(1900)は,27種類の植物化石を報告し,その時代は第三紀であるとした。
矢部(1929)は,さらに66種類を表示し,その時代はもっと新しい更新世であるとした。
その後,小泉(1940),Endo(1934,1935,1940),尾崎(1982)らにより,より多くの植物化石が同定され,ほぼ全体像が明らかになった。
そこでは平均気温が,現在より5~6℃低い気候であったとされた。尾上(1989)は,さらに総括的な研究を行い,171種類の植物化石の記載を行った。
それらの分析から,当時の気候は現在とほぼ変わらないか,あるいは若干暖かかったとしている。葉以外では鈴木(1973)が,材化石の分析を行い7種を報告している。
植物化石以外では,上野(1967)が魚の化石について報告し,ウグイに同定した。

また,横浜国立大学の鹿間時夫は,カエルの化石を新種として記載した(Shikama,1955)。
このカエルはシオバラガエルと呼ばれている。また,ヒメネズミとアカネズミの化石も報告されている(長谷川・青島,1988)。
珍しいものとして,鳥の羽毛も見つかっている。
しかし,その同定はできていない。塩原からの昆虫化石の研究は,戦前からなされている。

Fujiyama(1968)は,ミヤマカラスアゲハを記載し,さらに,Fujiyama(1983)は,ゴマダラチョウを記載している。
また,エゾハルゼミとコエゾゼミの2種類のセミを報告している(Fujiyama,1969,1979)。
昆虫化石の研究は,以上のように古くから行われていたが,学名まで検討されているのは10種にも満たないのが現状である。
大型化石以外の微化石については,尾上(1984,1989)が13カ所からの花粉化石を分析し,50種類を同定している。
珪藻化石に関しては阿久津(1960),Akutsu(1964)の研究があり,20地点,35種類の珪藻化石が報告されている。

2 地質概説

木の葉石を産する地層は,栃木県北部の那須塩原市に東西5km,南北3kmにわたり三日月型に分布しており,塩原層群と呼ばれる。
塩原層群は,基盤岩類である福渡層群,鹿股沢層群を不整合で覆い,上位の段丘礫層,崖錐堆積物に不整合で覆われている。
塩原盆地は温泉地として有名であり,地下地質も詳しく調べられている(鈴木,1972,鈴木1978)。

それによるともっとも厚い部分は宮島付近であり,約400mに達する。
塩原層群は,産出する化石からも明らかに湖の堆積物であり塩原湖成層とも言われている。
その成因については,火山堰き止め説(郷原ほか,1952),断層陥没説(高橋・内田,1956)などがあるが,尾上(1989)は,大量に噴出した軽石流の存在と,火山の基盤の分布からカルデラ湖による堆積物であるとした。
塩原層群は,場所により層相の変化が著しい。

Akutsu(1964)は,塩原層群を下位から,古町礫岩・須巻層・中塩原火山角礫岩・宮島層・赤川層の5つの累層に区分した。
しかし,尾上(1989)は,それらは必ずしも上下関係を示すものではなく,湖盆の周縁相の砂礫相から中心相である泥質相への側方変化を顕した同時異層の関係であるとした。
すなわち,塩原層群を累層区分するのではなく,一括して塩原層群として表すことを提唱している。

塩原層群の層相は,中心部では白色や灰色の0.5~数mmの薄い珪藻質の泥層が卓越した地層が分布しており,この地層は湖の中心付近のおそらく深く水流のない穏やかな場所での堆積物と考えられている。
この珪藻質泥岩の葉理にそって多くの化石が産出する。
とくに木の葉化石園からは保存良好な化石が産出する。
化石はこの場所に集中して産出するので,化石が集まりやすい堆積環境と,保存されやすい環境とが一致した結果と考えられる。
この場所はAkutsu(1964)の宮島層に相当し,また塩原層群ではその上部に相当する。
塩原木の葉化石園の地下には,この含化石層が140mに渡り連続している。

塩原層群の中には,何枚かの溶岩流が挟在している。
その上部層の数枚の安山岩溶岩のK-Ar法による全岩年代測定では,約30万年前の値が示されている(Itaya et al.,1989)。

3 古塩原湖の成り立ち

現在の塩原盆地の周りは高原火山によって囲まれている。
高原火山は那須火山帯の最南端部の山で南側を釈迦ヶ岳(1795m)を中心とする釈迦ヶ岳火山群と言い,北側を塩原火山群と言う。
高原火山の最初期の噴出物は,大田原軽石流堆積物という。
この軽石流は約700㎢に広がり,さかんな噴火活動と,その流出により地下の陥没と,大きなカルデラ湖の成立が考えられている(尾上1989)。
その活動時期は,おそらく大田原軽石流堆積物の下位にあるローム層のジルコンによるフィッション・トラック年代測定値が50万年前という値を示す(小池ほか1985)ことから,その頃から活動が始まったのであろう。
その後,カルデラの南側にさらに火山活動が起こり,安山岩からなる山体が形成された。
このときに何枚かの安山岩溶岩が,このカルデラ湖にも流入している。
その安山岩溶岩の全岩年代測定値が30万年前を示している(Iriya et al,1989)。
よって,カルデラの形が三日月型になったのもこのときであり,ここに古塩原湖ができた。前黒山(1,678m)なども,このときに出来たものであろう。
また,その北側にある富士山(1,184m)は,約6500年前の噴火で出来た寄生火山である。
古塩原湖は,その後しばらく続き,その間に保存の良い多くの化石を堆積保存することになる。
もっとも深い部分は,塩原木の葉化石園がある中塩原・宮島付近である。
春,夏には大量の珪藻が発生し,その死骸が白色の珪藻土をつくり,秋,冬には泥質の粘土がたまり,年縞堆積物を作った。
時々,洪水により泥が厚く貯まったり,また火山の噴火による火山灰の層が挟まったりした。
この古塩原湖が干上がったのは,いつ頃であるかは不明であるが,干上がったあとは,箒川が,塩原湖成層を侵食し,現在の地形となった。
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